スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

風立ちぬ 

2008年の『崖の上のポニョ』以来5年ぶりとなる宮崎駿監督作品、『風立ちぬ』を観てきた。

名機「ゼロ戦」設計者の堀越二郎をモデルに、関東大震災を経て太平洋戦争に向かう時代に流されながら自らの飛行機開発という夢に情熱を傾ける男の姿を描く。


主人公に庵野秀明を起用したり効果音に人の声を使ったりと実験的な部分もありつつ、宮崎監督自身が試写会の席で「初めて自分の映画で泣いた」と発言していたことにも興味がわいた。

結果は賛否両論。
ツイッター上では「泣ける」という声も多いようだが、残念ながら自分にはあまり響くものがなかった。






『千と千尋の神隠し』や『崖の上のポニョ』は作品をどう解釈すべきか大きな議論があったが、今回は伝記モノということでストーリーに関して語れる余地は少ない。

むしろ問題は宮崎駿がなぜ『風立ちぬ』を撮ったのか、ということ。
クリエイターたるもの常に「作りたいもの」と「期待されるもの」のギャップに悩むことはあるだろうが、個人的には「宮崎アニメの良いところ」が失せているように感じた。

若手や中堅が作風の再構築を試みるのとはどうも違う。そう感じるのは「殻を破るための変化」ではなく、きっと「制限する変化」だったからだと思う。


72歳の世界的なアニメ監督が何を思うのかは想像するほかないが、『風立ちぬ』制作にあたってはちょっと雑念が多かったんじゃないかという気がする。

ドキュメンタリー番組では熱狂的なジブリ信者の母子に苦笑いすることもあったし、(何で読んだかは忘れたが)庵野監督がエヴァンゲリオンの背景にほとんどモブがいないことを「自分の中に他人が居ないんです」と説明したことに「正直な奴だ」と共感するなど、売れっ子クリエイターならではの孤独感があったかもしれない。

「自虐史観の軍事マニア」「西洋コンプレックスの日本(風土)愛好」「人間嫌いの生命賛歌」「マザコン的な口リコン」など、おそらくこれまでさんざんな自己矛盾を抱え込み、またそれが絶大な評価を得てきた。


総括し得ないそれらの矛盾をひとまず置き、今回は「ひとりになりたかった」んじゃないかと思う。

声優を演技力ではなく人間の雰囲気で選んでみたり効果音を声で表現するなど、わざと技巧から離れた「アニメーションにおけるリアリズム」を模索しているようにもみえる。

いつもどおりの作風にそうしたチャレンジを取り入れたならよかったが、今回は伝記モノ特有のテンポの悪さに加えてジブリが得意とするダイナミックな演出も使いどころがなく、二重にジブリらしくない作品になったのではないだろうか。

ストーリーに関しては「古き良き日本」への懐古が過ぎるようにも取れるが、家族にも敬語を使う礼儀正しさや結婚式のやりとりなどは本当に美しく、日本人の美徳の原点を見た思いがした。

また登場人物たちのチェーンスモーキングぶりには喫煙者としての意地が感じられて面白かった。欧米での二次元にまで及ぶ異常なまでの喫煙描写規制に対する当てつけだろうが、おそらく配給にディズニーが絡んでいるのも踏まえての確信犯的なものだろう。

「素人声優」「声の効果音」と同じく「規制のない自然表現」として人間と嗜好品のありかたまでしっかり描くことも今回のテーマのひとつだったのかもしれない。堀越二郎が菜穂子の傍らで喫煙するシーンはふたりの愛情がうまく表現された完璧な演出だった。

エンタメ性は乏しくとも最初から世界規模での配給が約束されている監督がスマートに表現規制の問題提起をした意義はあとあと効いてくることもあるだろう。


…もっとコキ下ろす感想になるかと思ったけど、いざ書き出してみるとそうでもないな。うん。
[ 2013/08/03 10:24 ] 映画・アニメ感想 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://oldskool.blog38.fc2.com/tb.php/297-3914c77d













上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。